東京、ニューヨーク、パリ、ロサンゼルス——、世界を舞台に活躍してきた岡本多緒さん。トップモデルとしてグローバルなキャリアを築き上げ、俳優や監督としても確かな歩みを進めてきた彼女が、今年40歳という節目の年を迎え、またひとつ新たな一歩を踏み出そうとしている。現在、W主演を務める濱口竜介監督の映画『急に具合が悪くなる』の準備中だ。フランスを拠点に撮影される本作だが、幸運にも渡仏数日前の彼女と日本で撮影をする機会を得た。「今の私は自分でも不思議なくらいの“無敵さ”を感じているんです。何が起きても、自分は大丈夫と思えるような感覚」。それは単なるポジティブ思考ではない。長年に渡り世界の最前で悩み、苦しみ、前進してきたからこそ見えている景色だ。「もちろん、これがずっと続くわけじゃないってこともわかっているんです。だからこそ、人生のご褒美だと思って、今この瞬間を楽しもうとしています」。巡ってきた幸運を「永遠」ではなく「瞬間」として捉えるその姿勢に、彼女の揺るがない強さを見る。

今回、撮影場所として彼女が選んだのは、東京・下北沢。#001北村道子さんも撮り下ろしてくれた写真家の鈴木親さんと、どこで撮影をしようかと会話をしながら撮影が進む。「高校が吉祥寺で、その後少し通った大学も小田急線沿いだったので、その頃はよく帰り道に下北沢に寄ることがありました」。学生時代の思い出の地が生活の場となったのは、コロナ禍に一時帰国した時のこと。借りたAirbnbのアパートが偶然にも下北沢だった。「2ヶ月くらい住みました。その時は、ヴィーガンの食生活をストイックに取り入れていたのですが、近くにはそんな私でも楽しめる居酒屋もあって……『あ、日本で生活できるかもしれない』と、思えることがあったんです」。それがもう一度拠点を日本へ移す、という決断に繋がった。

 世界各地で生活をしてきた彼女が、そのどことも違う“ちょうどよさ”を見出した下北沢。「カルフォルニアのマリブに住んでいた時は自然に囲まれていて、それはそれでよかったのですが、私にはペースが合わなかった。もう少し活気がある場所に惹かれていたんです」。再開発が進む駅前と、昔ながらの面影を残す劇場通り。新旧のカルチャーが共存する街の空気に特別なエネルギーを感じたという。「劇場ザ・スズナリや本多劇場に、舞台を観に行くこともありました」。雑多だけれど、どこか整っていて、観光客の姿もありながら、しっかりと地元の人々の生活が息づいている。「このバランスが面白い。今でもいい物件があれば下北沢に住みたいと思っています!」

 東京という街は、多緒さんの目にはどう映っているのか。「東京、そして日本の誇りは、その安全性。安全だと感じられる都市って本当に少ないから」。かつて住んでいたニューヨークのような鋭いエネルギーとは違うが、東京にも確かに“動いている”感覚がある。それもいいところだと彼女は言う。「ニューヨークは常にアグレッシブで、何かしてないと取り残されてしまうような気がしていた。あのピリッとした空気は20代の私には必要だったけど、今はもう少し余白のある街のほうが心地いいんです」。東京には、彼女の今の生き方に寄り添う余白と密度がある。相反する要素が交差するこの街が、常に前へと進む彼女を優しく見守っていた。

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髪を切り、世界規模でのブレイクを果たした多緒。現代のビューティ像を体現する存在として、数々の雑誌のエディトリアルやキャンペーンに出演してきた。モード誌『VOGUE JAPAN』でもカバーに登場し大きな話題に。

ぱつっと切り揃えられた前髪が印象的なマッシュルームヘア。アンドロジナスな魅力を授けた「TAOヘア」が、2000年代のランウェイを席巻した。だが、その独自のスタイルでトップモデルとして確固たる地位を築くまでの道のりは、決して平坦ではなかった。「誰でもいいって言われるような仕事には、心が動かないんです」。人の真似が嫌いで、自分じゃなきゃと思われないと意味がないと思う性格。それゆえ、当時のファッションシーンのなかで、アジア人のひとりの枠に収まる現実に葛藤していたという。転機はロングヘアをばっさり切ったこと。ヘアサロン『TWIGGY.』の松浦美穂さんによってさらに手を加えられて生まれたその髪型が、唯一無二の個性を持つモデル“TAO”として、ファッション界で活躍するための突破口となった。

 「覚えてもらえるようになったのは、あの髪型にしてから」。それは、モデルの仕事を始めて10年目のことだった。「振り返ってみて思うことですが、その道で自分らしさを見つけるには10年はかかるのだと思います。私は努力をすることは得意ではないけれど、こうしたほうがいいと思うことは、迷わず行くタイプ。石橋をスキップで渡るような感じ(笑)」。すぐに結果が出なくても諦めない。その姿勢も、彼女が強くある理由のひとつだ。「逆境って、嫌いじゃないんですよね。それがガソリンになることもあります」。

「20代や30代前半でいろいろなものを着尽くしたということもあって、服を選ぶ時はなるべく長く着られるものを選ぶようにしています。無駄を出さずに環境に配慮した選択をしたいですね」と、多緒さん。エターナルな SA VILLE / SA VIEのアイテムは、時代を超えて受け継がれる名品が揃う。
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意志が宿るオールブラックの装いで街に佇む多緒さん。「オールブラックの装いは、普段フォーマルな場所で選ぶことが多いのですが、ストレッチの効いたジャケットに透け感のあるドレス、そこに端正なシルエットのパンツを合わせるそのバランスは、日常にすっと馴染んで心地がいいです。ザ・フォーマルだと、退屈になりがちな服を素材感とシルエットでいい意味で崩している。けれどエレガンスもあって素敵ですよね」と、この日身に纏った SA VILLE / SA VIEの服について語ってくれた。そんなSA VILLE / SA VIEが春夏コレクションでフォーカスしたのは、ニューヨークの街。多緒が11年間過ごしたその街は、多文化が行き交う場所。「数ブロック歩けば知り合いに会うくらい人との距離が近くて、刺激に溢れていました。誰もが前を向いて早足で歩いていて、そんな人が東京にいたらちょっと浮いてしまうくらい」と、笑いながら街について話す。そこで得たのは「人生をどう生きるか」を大切にする視点。演じることへの向き合い方も変わってきた。「ビギナーズラックで大きな映画に呼んでもらえて、そこから逆行するように10年かけて、少しずつ芝居を学んでいきました。そのなかで脚本との巡り合わせが本当に大切なことだと気付いたんです」。師事したアクティングコーチの言葉に導かれて戯曲を読むようになり、そしてそれは監督としての視点にもつながっていった。
今の宝物として持ってきてくれたのは出演映画の原作本『急に具合が悪くなる』(宮野真生子・磯野真穂著、晶文社刊)。何度も何度も読み返し、フランスでの撮影を心待ちにしていると話してくれた。
監督、脚本を手がけ、役者として自らも出演した短編映画『サン・アンド・ムーン』。東京国際映画祭で選出され、MIRRORLIAR FILMS Season6の一篇としても上映された本作は、感情の機微を豊かに描き、リアルな会話劇が人々の心を掴んだ。

世界が注目する濱口竜介監督の新作『急に具合が悪くなる』で、ヴィルジニー・エフィラさんとともに主演を務める多緒さん。出演が決まったのは昨年秋、監督と対話を重ねたオーディションを経てだった。脚本を読んだ瞬間「この役は私だ」と、なぜか不思議な直感があったという。「濱口監督の脚本はすべてがすっと入ってきて、全部自分の言葉にできる感覚がありました」。運命の脚本に出会えたことは、自分へのご褒美のような経験。フランスで撮影される本作のために、一時拠点をフランスへと移す。「やっぱり対面じゃないと掴めないことがある。ようやくみんなと現地で会えるのが楽しみです」。

 なぜ自分がこの役に選ばれたと思うか?という問いには「自分を偽らなくてもいいという気持ちが年齢的にも出てきたタイミングだったからだと思います。よく思われたいとか、この監督はこういう女性を探しているんじゃないかとか、そういう計算を手放せたからかもしれません」。年齢やキャリアを重ね、自分を偽らずに向き合えるようになった40歳の今だからこそ、噛み合う運命の歯車がある。

岡本多緒が「美しい」と感じること、それは人が語る過去の話。「昨日の出来事でも、語り手の記憶から鮮やかに情景が浮かぶ瞬間に、心が震えることがあるんです。自分もその場にいるかのような感覚になる」。記憶や感情の積み重ねが、その人を形作ることに改めて気づかされるという。年齢を重ね、失敗も涙も経験したからこそ、物事を選ぶ時に自信が持てるようになったとも。演じる役の背景にある哲学を理解するため、今は意識的に文献を読み、知識を増やしている最中だ。「大人になればなるほど、年齢を重ねれば重ねるほど、学びの機会は少なくなる。だからこそ自ら学び続ける姿勢が大切。自分で得た知識は、誰にも奪われないし、確かな力になる」。また、何かに悩んだときは人に相談し、新しい視点を取り入れるようにしているという。「以前、色々な相談をきいてくださっていた方に“次はあなたが誰かにやってあげて”と背中を押されたことがあるんです。そういう思いやりのバトンを渡していける存在に私もなりたい」。その言葉には、人生を真摯に歩んできた彼女ならではの優しさと力強さがにじんでいた。最後に今後チャレンジしたいことを聞くと、「今は、控えている作品『急に具合が悪くなる』に全力投球。終わった時に、自分がどういう心境なのかはまだ分からないのですが、触発されて何かを始めることがあるかもしれません。自分のプロジェクトとして、短編を3本作っているのですが、3本目はみなさんにお披露目すべく、ただいま準備中です。次の作品は長編に挑めたらいいなとも思っているんです」。歩みを止めないからこそ、拓かれる道がある。年齢や国籍という概念を超え、個を強く持つ岡本多緒の生き方がそう教えてくれる。
座右の銘はその時によって変わるが今は「無我夢中」だと、多緒さん。これまで積み上げた経験を全部注ぎ込んで、新しい物語を描いていく。明朗快活な言葉が裏付ける確かな自信と、他者を思いやる愛に溢れた眼差しが彼女の明るい未来を約束しているようだった。
1985年、千葉県出身。14歳でモデルデビュー。2006年に渡仏し、パリコレクションに初参加。その後モデルTAOとして、トップメゾンのショー、雑誌、ワールドキャンペーンに多数出演する。2013年には、映画『ウルヴァリン:SAMURAI』でスクリーンデビュー。2023年からは拠点を日本に移し、企画と監督、脚本、出演を手がける短編映画『サン・アンド・ムーン』が、第36回 東京国際映画祭Amazon Prime Video テイクワン賞のファイナリスト作品に選出されるなど、多方面で活動の幅を広げている。2026年公開濱口竜介監督最新作『急に具合が悪くなる』に、ヴィルジニー・エフィラとW主演することが発表されたばかり。

Stylist : Shizuka Yoshida

Hair&Makeup : Haruka Tazaki

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