“人生のご褒美だと思って、
今この瞬間を楽しもうとしています”
“人生のご褒美
だと思って、
今この瞬間を
楽しもうとしています”
今回、撮影場所として彼女が選んだのは、東京・下北沢。#001北村道子さんも撮り下ろしてくれた写真家の鈴木親さんと、どこで撮影をしようかと会話をしながら撮影が進む。「高校が吉祥寺で、その後少し通った大学も小田急線沿いだったので、その頃はよく帰り道に下北沢に寄ることがありました」。学生時代の思い出の地が生活の場となったのは、コロナ禍に一時帰国した時のこと。借りたAirbnbのアパートが偶然にも下北沢だった。「2ヶ月くらい住みました。その時は、ヴィーガンの食生活をストイックに取り入れていたのですが、近くにはそんな私でも楽しめる居酒屋もあって……『あ、日本で生活できるかもしれない』と、思えることがあったんです」。それがもう一度拠点を日本へ移す、という決断に繋がった。
世界各地で生活をしてきた彼女が、そのどことも違う“ちょうどよさ”を見出した下北沢。「カルフォルニアのマリブに住んでいた時は自然に囲まれていて、それはそれでよかったのですが、私にはペースが合わなかった。もう少し活気がある場所に惹かれていたんです」。再開発が進む駅前と、昔ながらの面影を残す劇場通り。新旧のカルチャーが共存する街の空気に特別なエネルギーを感じたという。「劇場ザ・スズナリや本多劇場に、舞台を観に行くこともありました」。雑多だけれど、どこか整っていて、観光客の姿もありながら、しっかりと地元の人々の生活が息づいている。「このバランスが面白い。今でもいい物件があれば下北沢に住みたいと思っています!」
東京という街は、多緒さんの目にはどう映っているのか。「東京、そして日本の誇りは、その安全性。安全だと感じられる都市って本当に少ないから」。かつて住んでいたニューヨークのような鋭いエネルギーとは違うが、東京にも確かに“動いている”感覚がある。それもいいところだと彼女は言う。「ニューヨークは常にアグレッシブで、何かしてないと取り残されてしまうような気がしていた。あのピリッとした空気は20代の私には必要だったけど、今はもう少し余白のある街のほうが心地いいんです」。東京には、彼女の今の生き方に寄り添う余白と密度がある。相反する要素が交差するこの街が、常に前へと進む彼女を優しく見守っていた。
ぱつっと切り揃えられた前髪が印象的なマッシュルームヘア。アンドロジナスな魅力を授けた「TAOヘア」が、2000年代のランウェイを席巻した。だが、その独自のスタイルでトップモデルとして確固たる地位を築くまでの道のりは、決して平坦ではなかった。「誰でもいいって言われるような仕事には、心が動かないんです」。人の真似が嫌いで、自分じゃなきゃと思われないと意味がないと思う性格。それゆえ、当時のファッションシーンのなかで、アジア人のひとりの枠に収まる現実に葛藤していたという。転機はロングヘアをばっさり切ったこと。ヘアサロン『TWIGGY.』の松浦美穂さんによってさらに手を加えられて生まれたその髪型が、唯一無二の個性を持つモデル“TAO”として、ファッション界で活躍するための突破口となった。
「覚えてもらえるようになったのは、あの髪型にしてから」。それは、モデルの仕事を始めて10年目のことだった。「振り返ってみて思うことですが、その道で自分らしさを見つけるには10年はかかるのだと思います。私は努力をすることは得意ではないけれど、こうしたほうがいいと思うことは、迷わず行くタイプ。石橋をスキップで渡るような感じ(笑)」。すぐに結果が出なくても諦めない。その姿勢も、彼女が強くある理由のひとつだ。「逆境って、嫌いじゃないんですよね。それがガソリンになることもあります」。
世界が注目する濱口竜介監督の新作『急に具合が悪くなる』で、ヴィルジニー・エフィラさんとともに主演を務める多緒さん。出演が決まったのは昨年秋、監督と対話を重ねたオーディションを経てだった。脚本を読んだ瞬間「この役は私だ」と、なぜか不思議な直感があったという。「濱口監督の脚本はすべてがすっと入ってきて、全部自分の言葉にできる感覚がありました」。運命の脚本に出会えたことは、自分へのご褒美のような経験。フランスで撮影される本作のために、一時拠点をフランスへと移す。「やっぱり対面じゃないと掴めないことがある。ようやくみんなと現地で会えるのが楽しみです」。
なぜ自分がこの役に選ばれたと思うか?という問いには「自分を偽らなくてもいいという気持ちが年齢的にも出てきたタイミングだったからだと思います。よく思われたいとか、この監督はこういう女性を探しているんじゃないかとか、そういう計算を手放せたからかもしれません」。年齢やキャリアを重ね、自分を偽らずに向き合えるようになった40歳の今だからこそ、噛み合う運命の歯車がある。
Stylist : Shizuka Yoshida
Hair&Makeup : Haruka Tazaki