東京は一冊のノートのような街だと、夏木マリさんは言う。書き込み、消し、また新しい線を引く。その繰り返しのなかで街は姿を変え、人もまた変わっていく。生まれ育った池袋も例外ではない。かつての面影を残しながらも、街は絶えず更新され続けている。「だから街は変わるし、人も変わる。それでいいと思うんです」。失われた風景を惜しむのではなく、変化そのものを受け入れる。その感覚は、半世紀以上にわたり表現者として生きてきた彼女自身の姿勢と重なる。歌手、俳優、演出家、パフォーマー──、ひとつの肩書きに留まることなく、自らを更新し続けてきた夏木さんにとって、街も人生も完成を迎えることはないのかもしれない。
TOKYOは池袋で生まれたあたし
病院はビックリガード脇のぬかりや医院
おしゃまで 気の強い女の子

自身の人生を歌った楽曲「60 Blues」の歌詞の通り、夏木さんの物語は池袋から始まる。池袋で生まれ育ち、学校へ通い、戦後の活気が色濃く残る街で少女時代を過ごした。ここ池袋は、後の表現者人生の原風景でもある。なかでも忘れられない場所が、現在のサンシャイン60通り沿いにあったジャズ喫茶「池袋ドラム」だ。「そこで初めて洋楽に出会ったんです」。当時はグループ・サウンズ全盛期。「今でいう“推し”ですよね。グループ・サウンズを追っかけていると、『朝日のあたる家』とか『アンド・アイ・ラヴ・ハー』を歌っていて。いい歌、歌ってるなと思っていたら仲間に『アニマルズやビートルズの曲も聴いてみたら?』って教えてもらったんです」。ジャズ喫茶やレコード店に足繁く通う日々の中で、ジャニス・ジョプリンの歌声に衝撃を受けた。「ぶっ飛ぶほどかっこよかった。こんな声で歌えたらいいな、こんなシンガーになれたらいいなって、ちょっとした夢を抱いたのがその頃です」。音楽への憧れは膨らんだが、音大へ進み、やがて結婚して家庭に入るのだろう、そんな未来を漠然と思い描いていたという。商社マンでありながらクラシックを愛した父の影響もあり、家にはクラシックが流れていた。「特段取り柄もない子だったし、運動神経もない女の子。音楽大学を出て、お嫁さんに行くまで家で歌の先生でもやればいいか、と考えていました」。
表現者としての人生が動き始めたのは、通っていた音楽スクールが突然「歌謡曲を出す」と方針転換したことがきっかけだった。「10代の生徒が私しかいなかったから白羽の矢が立っちゃって。歌謡曲を歌いたかったわけじゃないけど、歌うことは好きだったから」。洋楽やロックに憧れていた少女は、今まで習っていた発声の仕方を変え、気づけば歌謡曲でデビューしていた。ちょうどその頃、音楽大学進学も家庭の事情で断念することになり、誘われるまま本名でレコードデビュー。しかし、最初のデビューでは思うような結果を残せなかった。
それでも再び声がかかり「家でぶらぶらしているよりいいか」と夏木マリとして再デビューを果たす。「最初は大人を信じてやったけど、こけちゃったからね。その頃はもう大人を信じていなかった。でも普通の会社員になるスキルもなかったし、今思えば、歌い手になりたいという執着もあったのかもしれない」。再デビュー後は目が回るような忙しさだった。「絹の靴下」のヒットによって一躍人気歌手となり、歌番組の生放送を渡り歩いた後は夜行列車で地方へ向かい、キャバレーのステージに立った。「寝る時間なんてなかった。家には下着を取りに帰るくらい」。成功の裏側で、心のなかには別の感情も芽生え始めていた。「このままルーティーンをこなしていても、私の歌はないなと思ったんです」。売れることと、自分らしく表現することは同じではなかった。「自分に特別な才能があるとは思っていない。ジャニス・ジョプリンみたいな声もないしね。でも自分の歌を歌いたい、自分らしく生きたいって、その頃から少しずつ思ったんじゃないかな」。その小さな違和感は、やがて歌手という枠を超え、唯一無二の表現を生む夏木さんの次章へ、ページを進めることとなる。
活動の幅を広げる転機となったのは30歳の頃だった。20代のほとんどをキャバレー巡業に費やし、「このままではまずい」と危機感を抱いていた時に出演したのが日劇ミュージックホール。トップレスのダンサーたちと共演するショーは勇気のいる仕事だったが、そこで夏木さんはプロフェッショナルの真髄に触れる。「一日に何度もステージをこなしながら、次の公演の稽古にも励む彼女たち。驚くほど働いているのに実に楽しそうだった。その時の私は歌うことが楽しくなかったから、“好き”だと楽しく頑張れるんだなと思って」。自分の“好き”を探し直そうとしていた矢先に訪れたのは、小劇場のミュージカルへの誘い。「コアな劇場だったけど、お客さんには劇作家や映画監督たちがいて。そこでいろんな人が私を見つけてくれた」と振り返るように、その縁が次々と新たな仕事に繋がっていった。やがて新劇から蜷川幸雄らの舞台へと活躍の場を広げ、演劇の世界へ深く足を踏み入れた。
もちろん、その道は平坦ではなかった。「一年に四本くらい舞台をやると、もう稽古と本番でいっぱいになっちゃう。友達もなくすほど」と笑う。それでも、歌手時代には得られなかった刺激と出会いがあった。厳しい現場で鍛えられ、表現者として認められる喜びも知った。「単純だから、褒められるとついその気になっちゃうんですよ」と、語る表情は実に楽しげ。演劇という新たな居場所を見つけた30代の充実ぶりがその笑顔ににじんでいた。
豊島岡女子学園は夏木さんの母校。「当時の構造とは変わっている」と話しながらも、どこか面影を残す学び舎を懐かしそうに見つめる。
自身の人生におけるターニングポイントとして夏木さんが挙げるのが、1993年にスタートしたコンセプチュアルアートシアター、印象派だ。身体表現、音楽、美術、映像を横断しながら、自ら企画・演出を手がけるこのプロジェクト。その出発点にあったのは、「自分を知りたい」という思いだった。演劇の世界で10年を過ごすなかで、自分の未熟さや無知を痛感した夏木さんは、集団のなかではなく、一人の表現者として立つことを選ぶ。学生時代以来というほど本を読み、新聞を読み、世の中を学び直した。
印象派によって得たものは、新たな表現の場だけではない。自分自身を見つめ直し、整理する時間でもあったという。「私はこういうものが好きなんだとか、これはやらなくてもいいんだとか、整理整頓ができた」。その過程でたどり着いたのが、「自分は発見するものではなく、創るもの」という考え方。本当の自分がどこかに眠っているのではなく、選び、試し、積み重ねることで自分自身が形づくられていく。そして「創るということは、捨てることが必要」なのだと気づいた。不要になった価値観や思い込みを手放すことで、自分の輪郭は少しずつ明確になっていく。印象派は、夏木さんにとって原点であり、今もなお立ち返ることのできる表現の拠点だ。完成を目指すのではなく、創り続けること。その姿勢こそが、変化を恐れず歩み続ける彼女の現在を支えている。
印象派立ち上げの際に読んだジャン・コクトーの一冊。当時読んだものを今でも大切に持ち続けている。「芸術は、芸術家が自然から離れるまさにその瞬間から存在する」(p.177)、心に触れた言葉に印がつけられていた。『ぼく自身あるいは困難な存在』ジャン・コクトー著 秋山和夫訳 筑摩書房刊
夏木さんにとってファッションもまた、自分を表現する大切な手段のひとつだ。とはいえ、「スタイルなんてまだ全然確立してない。ファッションもずっと探し続けて創っているから」と笑う。完成形を目指すのではなく、その時々の自分に正直でいる。その姿勢は、人生や表現に対する考え方とも重なる。撮影で最初に袖を通したのは白シャツとパンツのスタイリング。「白シャツって意外と難しいアイテム。でも、自分が元気だったら着こなせる服のひとつでもある。これから先も白シャツをちゃんと着られる女でいたいですね」。オーバーサイズのシルエットにレースをあしらったデザインもお気に入りで、「今ちょうどレーシーなものがブームなので、すごく心地よかったです」と話す。
キャメルのセットアップはまた違った魅力を見せた。落ち感のあるジャケットとリラックスしたパンツは、メンズライクでありながらしなやかな印象。「私は毎日、色で服を選ぶんです」。ファッションに決まったルールはない。ただ一つ意識しているのは、「なにか一つ抜くこと」。足すだけでなく、引くことで生まれる余白を大切にする。その余白が個性となり、その人らしさになる。変化を楽しみながら、自分を創り続けること。それこそが、夏木マリらしさを形づくる秘訣なのかもしれない。
最後に、美しさについて尋ねた。夏木さんは迷いなく、「美しさとは時間だと思うんですよ」と答える。若さや華やかさではなく、自分らしく積み重ねてきた時間そのものが人を美しくするという。だから年齢を重ねることにも抗わない。「大変ですよ。やることも増えるし」と率直に語りながらも、「ちゃんと積み重ねてきたなら、自分を信じてもいいんじゃないかな」と続ける。美しさとは、誠実に生きてきた時間の証なのだ。だからこそ、嘘はつかない。例えばしわが増えることも事実として受け入れ、自分や気持ちに嘘をつかないこと。「一度嘘をつくと、その嘘を重ね続けなければならなくなりますからね」。
現在、74歳。孤独を感じることもあるという。隣にパートナーがいても、人は最後は一人で眠る。孤独は特別なものではなく、人間である以上誰もが抱える感覚なのだという。「人間はそういうもんだから」。その言葉には、長い時間を生きてきた人ならではの静かな強さがにじんでいた。
人と文化が目まぐるしく交差し、変わり続ける池袋の街。その姿は、夏木マリの人生にもどこか重なる。歌手としての成功も挫折も、演劇との出会いも、印象派での挑戦も、すべては自分を創り続けるためのエレメント。街が完成することがないように、人生も生涯完結することはない。だからこそ変わることができるし、新しい挑戦もできる。夏木マリはこれからも物語の新しいページを書き加えながら、自分という作品を更新し続けていくのだろう。その積み重ねた時間こそが、彼女の美しさなのである。
池袋の文化拠点として親しまれる東京芸術劇場。数々の演劇の舞台に立ってきた夏木さんにとっても、思いを抱く場所のひとつだ。
1973年歌手デビュー。1980年代より演劇にも活動の場を広げ、芸術選奨文部大臣新人賞などを受賞。1993年からコンセプチュアルアートシアター「印象派」で、身体能力を極めた芸術表現を確立。シビウ、アヴィニョン、エディンバラと世界三大演劇祭を制覇している。現在、毎週金曜日にFMヨコハマ「夏木マリLife Goes On~スワサントン BLUES~」 のDJ、BS TBS「むかしばなしのおへや」 の朗読を続けている。映画「千と千尋の神隠し」で 湯婆婆の声を担当。2024年ロンドン、2026年韓国で公演された舞台版でも同役を演じた。

Stylist : Rena Semba

Hair : Taku

Makeup : Asami Taguchi

Manicure : Kyoko Murakami

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